あの頃の僕らが 笑って軽蔑した

太宰と出会った日のこと

 

幼い頃から本が好きだった。漫画や雑誌は買うことを禁止され、活字の本ならいくらでも買ってやると言われながら育った。(それでもこっそりブラックジャックを買ったり、隠れて雑誌を読んだりしていた。)3歳の頃はグリム童話や星の王子様を好み、黙々と読んでいたそうだ。また、新潮文庫の表紙に描かれている葡萄の絵が好きで、母親の文庫本を手に持っては「葡萄の本、葡萄の本」と呟いていた。それから独りの時間を見つけては様々な本を手にした。家にやって来た友人に、「君の部屋はまるで図書館だ」と言われる程だった。12歳の頃、初めて芥川と出会った。今まで読んできた夏目漱石宮沢賢治とはまた違った人間観察眼に度肝を抜かれたことを今でも覚えている。
13歳になり、人間失格を読んだ。それが太宰との出会いだった。葉蔵の抱えていた生き辛さが痛い程身にしみ、そこから滝を下るような勢いで太宰に心酔していく。次に読んだのは斜陽だった。以降、私が出会った本の中で一番好きな作品となる。この物語に登場する直治はおそらく修治本人のことであろうと思いながら読み進めていた。私は直治の遺書を読みながら泣いた。そしてその一字一句を万年筆で模写した。そこまで心酔していたのかと思うと、今となっては恥ずかしくてたまらない。後に、この斜陽という作品は、太宰の愛人の書いた斜陽日記が元となっていると知り、驚愕と僅かばかりの嫉妬心を募らせることとなる。
それから私は太宰の本を読み耽る。結核療養所での生活を描いたパンドラの匣、日記形式の正義と微笑、「富士には月見草がよく似合う」この文章を読み涙を流した富嶽百景。皮膚と心 女生徒 秋風記 新樹の言葉 トカトントン ヴィヨンの妻 お伽草子 玩具 おしゃれ童子 鷗 ア、秋 など この他にも数え切れぬほど読んだ。

14歳、あの頃の私は、理不尽な大人達に嫌気がさし、ぼんやりとした不安を抱え、日々葛藤しながら生きていた。中村文則の「何もかも憂鬱な夜に」に登場する真下のように、混沌や憂鬱を書き殴っていた。友人達に囲まれ、恋愛をし、笑って生きていたつもりでも、ふとした時に顔が陰り、爪を立てては心を傷つけた。心を許した二人の友人と、共に日々から抜け出した。そんな時、太宰の本を読むことで、自分は救われた。太宰の本を読みたい、その衝動が、あの頃の私の生きていく理由になってくれた。太宰の本を読むために、生きていよう、そう思った。

姉さん、僕は貴族です。
太宰は斜陽の中で若かりし頃の自分を殺した。それは、死ぬことができなかった貴族の自分と、生き続ける芸術家としての自分を一人の人間として捉え、残しておきたかったのかもしれない。もしくは、貴族であった自分と決別し、芸術家として新たに生きていきたいという哀しくも儚い思いの現れだったのかもしれない。
それは、彼が生涯に渡りたった一人で起こし続けた、革命であったのだと、私は思う。